思い出した親父の嬉しそうな顔-企業の知恵袋
福山市の税理士・社会保険労務士
ビジョン実現パートナーの
大立稔(おおたちみのる)です
会社の数字は
人がつくるもの
普通の社員が
天才の仕事をする仕組みを
つくることが飛躍の一歩です
ビジョン実現パートナーが
社長様とご一緒に
仕組みをつくります
今日
ふと思い出した親父のことです
私の父は
私が17歳のときに他界しました
怒りっぽく怖いけど
真面目な人です
そんな
親父が嬉しそうに話していた
顔を思い出しました
私は16歳の時に原付免許を
取りました
実は
私の高校ではバイクの免許を
取ることを禁止されていました
私は
国が認めた権利をどうして
学校が禁止するのか理解が
できませんでした
危ないというのは分かります
16歳の人間にとって危ないのなら
全員取得を禁止すればいいのです
1年前までは自由に取れていたんです
ある同級生は半年前に牛乳配達で
必要だからという理由で免許の
取得許可が下りました
私は早生まれなのでその半年後tに
新聞配達で必要という理由で
免許の取得願いを出したところ
却下されました
道理が通らないので先生に質問に
行くと体育館教室に呼ばれて
さんざん悪者扱いです
なお合点がいかないので
なぜいけないかを聞きました
牛乳配達が良くてと新聞配達が
いけない理由を教えてください
返ってきた言葉は
免許がないと配られんようなら
新聞配達をやめろ
そんなご無体なという気持です
そういった不満もあり
内緒で免許を取りにいきました
しかし
悲しい事に内緒で単車に乗って
いるのを学校の先生に見つかり
ご用となりました
校則違反ということで
親父が学校に呼び出され
ました
その時に
親父は校長先生に自分の
仕事の自慢話をしていました
自分が勤めていた工場で発明を
したこと
その発明で会社が大きな利益を
あげたこと
ほぼ私の話はありませんでした
親父は仕事を楽しんでいるんだな
ということはよく理解できました
そして誰にもできないことを
成し遂げた充実感を感じている
ようでした
親父は
勝手に免許を取って学校に
呼び出されたことは何も
ふれませんでした
あの頃の
親父は充実していたんだなと
思い出されたことが嬉しかったです
最後までお読みいただきまして
ありがとうございます