豊臣秀吉に学ぶ、離職の考え方-企業の知恵袋
福山市の税理士・社会保険労務士
ビジョン実現パートナーの
大立稔(おおたちみのる)です
会社の数字は
人がつくるもの
普通の社員が
天才の仕事をする仕組みを
つくることが飛躍の一歩です
ビジョン実現パートナーが
社長様とご一緒に
仕組みをつくります
今日は
2023年1月9日です
年は取りたくないですが
62歳になりました
年齢なりに成長した精神と
時代についていける柔軟な
頭で頑張っていきます
タナベ経営創始者
田辺昇一氏の著書
「わが道をゆく」を
読んでみました
1973年初版の本です
そのかなで
豊臣秀吉の話が
ありました
秀吉がまだ日吉(ひよし)と
呼ばれていた時の話です
遠江の国(とおとうみの国)
今の静岡県で
土豪松下之綱(まつしたゆきつな)の
下僕になっていました
之綱(ゆきつな)は日吉を
与助と呼んでいました
之綱は日吉の才気を愛し
事あるごとに日吉を
使っていました
之綱は猫なで声で
与助は偉い与助は偉い
主人まさりだ
今に重くとりたててやると
与助に言っていたそうです
しかし之綱は与助を
使うことは使うがなかなか
取り立ててくれません
これでは与助は
おもしろくありません
与助は他の偉い人に
使えることを決めて
しまいました
之綱から尾張に行く用事を
申しつけられて信長と
出会うこととなります
後には秀吉の才能が
信長によって開花される
ことになります
秀吉ほどの才気ある人を
口先で褒めてご機嫌を
とっても
実際に取り立てることが
なければ
才気ある人も心は離れて
いきます
褒美をぶらさげて上手に
利用するというのは
あさはかなことです
人間を操作することです
褒美で操作をする者は
必ず脅しでも操作をします
脅しも褒美もいずれも
相手を尊敬せずに
単に利用しているだけ
信頼関係は一片もない
と思われます
取り立てるといいながら
それが一切なければ才気
あるものも離れます
後には松下之綱は秀吉の家来
として取り立ててもらった
ようです
秀吉は松下之綱を見限った
のですが
昔の恩は返したのです
自分の志を果たすことが
できるかどうかは
自分自身の選択にかかって
きます
志を果たすためには
離れることも必要の
ようです
最後までお読みいただきまして
ありがとうございます